NAJC会長のメッセージ 2020年8月

ロリン・オイカワ

8月の記念日の一つに8月6日の「ヒロシマ・デイ」があります。今年は広島に原爆が投下されてから75年になります。原爆を生き残った広島の子どもたちの多くは、もう後期高齢者になりました。わたしはそのうちの二人と話す機会がありました。

8月6日私たちはその日を思い出すためにヒロシマ・デイを見つめます。1945年8月6日に米国は世界で最初に原爆を兵器として広島市に投下しました。広島市は一瞬にして廃墟になり7万人が即死し、その他多くの人が怪我と原爆症で亡くなりました。1945年末までに死亡者は2倍に増加しました。死亡者の大部分は一般市民と学童でした。米国は8月9日にまた長崎に原爆を投下しました。そしてここでも7万5千人余りが亡くなりました。

わたしの祖先は広島からカナダに1800年代に移民をして来た二人の兄弟まで溯ります。わたしは日系四世なので日本や日本人についての知識に乏しく、また交流もありませんでした。

わたしは1987年に初めて日本を訪問した時、私のバブルははじけました。わたしは広島にまだ親戚がいたので広島を訪問し、広島平和記念資料館に行きました。http://hpmmuseum.jp/?lang=eng。ここには広島の原爆被害に関する資料、造形物、地図、写真などが展示してあります。わたしが一番衝撃を受けたのは原爆を生き延びた子どもたちが描いた絵です。手足を失った人、眼球が飛び出して垂れ下がっている人、燃えている体の救いを求めて、逃げ込んだ人の血で赤く染まった川などがクレヨンで描かれた絵です。絵の他にも忘れられないものが記念館にありました。原爆で壊れた子供用の三輪車、原爆がさく裂した衝撃で潰れた腕時計、黒焦げの弁当箱などです。わたしはただただ圧倒されました。記念館から明るく日の差す外に出て、入り口の階段に座り涙を流しました。

この記事を書くために、わたしは母の従兄弟で広島市にいる田中カツクニさんと連絡を取りました。田中さんに家族の話を聞きたかったからです。田中さんは、家族は原爆の経験を話したがらなかったが、死が近づいた晩年になってやっと話してくれたと言いました。田中さんは次のように話してくれました。「わたしの祖母の中野マサヨは、毎年わたしを8月6日の平和祈念式に連れていきました。また広島中央郵便局職員の慰霊式にも行きました。わたしの叔母のトシエは当時20歳で郵便局で働いていましたが、郵便局は爆心地の直ぐ近くなので、トシエは原爆で何も残さずに蒸発してしまいました。」

1945年8月6日午前8時15分、原爆が投下された時、田中さんは20ヶ月の赤ん坊で、母親と一緒に広島駅近くの家にいました。この家は原爆投下地点から1.8キロほどの所です。家は爆風で平らに潰れましたが、田中さん親子は助かりました。田中さんの母親のキミエさんは爆心地から安全なところに逃げるために、原爆で破壊された町を赤ん坊を抱いて東に20キロ歩いて海田にたどり着きました。

原爆で死亡した人全員の名前は記録帳に記載され、広島平和記念公園の記念碑の石で出来た箱に入れられていると、田中さんがわたしに教えてくれました。田中さんの母親と祖父は50代前半に癌で死亡しました。田中さんと田中さんの生き残りの家族は、その友達のセツコ・サーロウさんと同じように、全員被爆者です。

セツコ・サーロウさんは2015年にビクトリアで開かれたNAJC年次総会で基調講演を行いました。彼女は核兵器の廃絶と核時代の世界の救済に向けて情熱を燃やしています。それが、過去七十年にわたる広島の被爆者としてライフワークとなっています。

わたしはサーロウさんに連絡して、ヒロシマ・デイついて書いていると伝えると、わたしに自分の鮮烈な原爆体験を送ってくれました。1945年、彼女は13歳の女子生徒でした。原爆投下の時に広島市の中心部にいた7,000名近くの生徒の一人でした。「わたしは校舎の二階の教室にいました。突然、窓の外が青白く輝くのが見え、わたしは宙を浮いているような気持ちになりました。それが意識のあった最後です。気がつくと、くすぶっている瓦礫の中に閉じ込められていました。生徒の多くは原爆で蒸発して消えてしまったり、実際に溶けてしまったりして、死にました。」

2017年7月7日、ニューヨークの国連で122の国連参加国が核兵器禁止条約の採択にむけて投票した時に、サーロウさんは講演をしました。「皆さん、ここで少し1945年8月、広島と長崎で原爆で亡くなった人たちの事を思い出してください。何十万という人達です。一人ひとりに名前があります。一人ひとり誰か愛してくれる人がいました。」(セツコ・サーロウの国連演説から)https://www.youtube.com/watch?v=i9c6_qobMko

2017年12月、日系カナダ人のセツコ・サーロウさんは「核兵器廃絶のための国際キャンペーン」(ICAN)が受賞したノーベル平和賞を、この団体を代表して受け取りました。受賞理由は「核

兵器の人類にもたらす壊滅的な結果に世界の注意を向けさせ、条約に基づいた核兵器禁止を達成するための画期的な努力を続けていること」です。

ヒロシマ・デイは世界平和のための記念日です。日系カナダ人もビクトリア、ウィニペグ、トロント、その他カナダ各地でおこなわれるヒロシマ・デイに参加します。この記念日は核兵器がもたらす壊滅的被害を忘れず、条約による核兵器の禁止を支援するように呼びかける日です。カナダ人にとって、この記念日は原爆の開発にカナダが果たした役割を思いだす日です。カナダは原爆に必要なウラニュームを発掘して提供しました。この結果、北西準州の鉱山近くのカナダ先住民のデネ族の人たちは放射線被害を受けました。[CBC: 爆弾の採掘 https://www.cbc.ca/history/EPISCONTENTSE1EP14CH2PA3LE.html ]

NAJCのオンラインブログラム、 najc.ca/online-programs/  をご覧ください。8月18日には作家、放送作家、演劇家のテツオ・シゲマツのオンライン授業があります。参加無料です。NAJCニュースの電子メール配信希望者はここから登録してください。at https://najc.ca/subscribe/

この秋から活動を再開する日系カナダ人コミュニティーもあるでしょう。NAJCは皆さんが健康に気をつけ、新型ウィルス対策をとって安全に活動を再開されることを願います。安全な社会的・身体的距離を守り、距離を保てない場合はマスクを着用し、病気の場合は家に留まり、咳やくしゃみをする時はテッシュや腕の中にして、顔には触れず、手を洗い、たくさんの人が集まる集会はしないようにしましょう。

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