ロリン・オイカワ
実際に人が参加できる行事が増えてきました。これらの行事は日系人に関する情報や歴史を皆に知らせる良い機会です。私は「サーリー・フュージョン・フェスティバル」で「日本・日系人館」を企画して、サーリーの日系カナダ人の歴史を展示しました。サーリーでの日系カナダ人の歴史なんて聞いたことがない、という話をよく耳にしました。私自身もサーリーで育ったのに、サーリーの日系人の歴史を知りませんでした。私達、日系人の歴史は強制追放と、日系人コミュニティーの中で強制追放の話を避けたために、現在でも隠されているのです。
サーリーに「イチゴの丘」と呼ばれる場所があります。ここは戦前、多くの日系カナダ人イチゴ農家が土地を切り開いてイチゴ農園を作り、「サーリー・ベリー生産者協同組合」と「イチゴの丘日本人農業会」を設立した場所なのです。これらの日系人は「イチゴの丘コミュニティー・ホール」の建設基金を提供し、主要道路の整備をしたのです。
私はサーリー博物館の館長と協力して、サーリーの日系人の話を収集し、特別な展示を用意しました。この展示は「破られた約束」の展示と一緒に、サーリー博物館に展示されました。「破られた約束」は現在ビクトリアの王立BC博物館で展示されています。サーリーの日系人に関する展示には、2018年にブリティッシュ・コロンビア大学が取得した「ジョアン・ギルズ・コレクション」の中の手紙と写真の複製が含まれています。
このコレクションには強制追放以前にサーリーのクイーン・エリザベス高校の生徒だったギルズの日系人の友達からの手紙149通と写真10枚が含まれています。手紙の多くはこれら日系人の友達が、BC州の収容所やアルバータ州とマニトバ州の砂糖大根農家にいた1942年から1946年の間に書いたものです。手紙から若い日系人が収容所でどのように生活したかがわかります。但し、日系人は手紙が収容所の管理官に検閲されるのを知っていたので、内容を考慮しています。ジョアン・ギルズ・コレクションの一部は「また会えますね」と言う題名でhttps://bit.ly/3Q61JkQ から見ることができます。
先月、ジョアン・ギルズ・コレクションの価値が認められユネスコの世界記憶遺産のカナダの部に追加されました。ユネスコの世界記憶遺産は、カナダの多様性を反映した歴史的に重要な文書を保存する主要な試みです。ジョアン・ギルズ・コレクションが世界記憶遺産に追加された時の発表が https://bit.ly/3blmb2p にあります。
パウエル街フェスティバルとサーリー・フュージョン・フェスティバルで、私が話した人達の中に、ヘイスティングス・パークに8,000人余りの日系人が、BC州内陸部の収容施設に送られる前に一時的に収容されていたことを知らない人達がいました。これらの人達の多くは日系人ですが、家族がヘイスティングス・パークのことを話したことはないそうです。
80年前の1942年3月16日にヘイスティングス・パークに初めて到着したのは、バンクーバー市以外からの日系人でした。1942年9月1日までにヘイスティングス・パークに収容された日系人は3,866人になりました。ヘイスティングス・パークが正式に閉鎖されたのは1942年9月30日でした。しかし、ヘイスティングス・パーク内にあった病院には、まだ105人の患者と医療関係者が残っていました。患者は病院が1943年3月に閉鎖されるまでに、ニュー・デンバーに新設された結核療養所に移送されました。
現在、ヘイスティングス・パークには、ここに収容されていた日系人について生存者の言葉で記された4つの説明板が設置されています。これらの説明板の設置に努力した日系人コミュニティーの人達の中にダン・トカワや私が入っています。私たちは「日系人ヘイスティングス・パーク歴史解釈センター会」を設立して説明板を作成しました。私たちはこの会の次のプロジェクトである「ヘイスティングス・パーク歴史解釈センター」設立準備を始めました。
私たちはこの歴史解釈センターについての皆さまのご意見を聞きたいとおもいます。[email protected] にメールでご意見、ご質問をお寄せください。またこのプロジェクトの進捗状態を知りたい方は、メールにその旨をお書き下さい。メーリングリストにお名前を追加します。
NAJCはセツコ・サーロウさんから2022年長崎・広島記念日ウェビナーへの招待状を受け取りました。8月9日午後7時から8時半(ET)です。詳しくは www.hiroshimadaycoalition.ca をご覧ください。登録はtinyurl.com/CanadaSignTheBanで出来ます。サーロウさんは広島原爆被爆者で「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」に代わってノーベル賞の授賞式に出席しました。NAJCはサーロウさんの呼びかけに応じて、これからも核兵器の危険性についての啓蒙活動と核兵器の廃絶と平和を提唱していきます。
8月9日は「世界先住民の日」です。今年は先住民文化の保存と伝播に於ける先住民女性の役割がテーマです。次の国連ウェブサイトに詳細がありますから、友達に知らせて下さい。https://www.un.org/en/observances/indigenous-day
私は「不正義の風景」プロジェクト委員会の副委員長を務めましたが、いくつかのグループに属していたかつてのメンバーやコミュニティ協議会そしてプロジェクト委員会の他のメンバーともビクトリアで対面でお会いすることができて嬉しかったです。プロジェクトに関連した人達のこの最後の会合では、日系人資産の強制売却に関する7年間のプロジェクトを振り返りました。また、このプロジェクトの成果の一つである「破られた約束」の展示をビクトリアの王立BC博物館で見ることが出来ました。初めてこの展示を見た人もいました。私はサーリー博物館で既に見ていました。「破られた約束」の展示には、全てを見せる展示と各地を巡回するための小さな展示があります。サーリー博物館には大きな展示をするのに十分なスペースがありました。また、ゴージ水路の近くにあるエスキモルト・ゴージ公園会館と拡張された日本庭園も訪ねました。この日本庭園はカナダで一番最初に作られた日本庭園と茶室があった場所に作られています。
80年前、この茶室を管理していた家族も、22,000人の日系人と一緒に強制移動させられ、残された茶室も壊されました。NAJC加盟団体であるビクトリア日系文化協会が新しい施設の建設のための公共の支援を求め、「不正義の風景」活動に対する調査の支援を行いました。現在、会館は日系人の会合の拠点になっています。会館のデザインは茶室と日本庭園に合うようになっています。ビクトリア日系文化協会は8月27日に、3年ぶりで日本文化フェアーをエスキモルト・ゴージ公園会館で開きます。80年前に茶室を管理していた高田家の一人が、この会館で結婚式をします。また、会館では9月にNAJC芸術シンポジウム「芸」が開かれます。いろいろな形で日系人コミュニティーがこの会館を利用しているのは喜ばしいことです。
私たちは日系カナダ人の歴史を日系人コミュニティーだけでなく、全てのカナダ人に知ってもらい、歴史から教訓を学び、不正義をやめさせる努力を続ける。これが私の持ち続けるビジョンです。
NAJC全国理事会を代表して、全てのボランティアの皆さまにお礼申しあげます。日系カナダ人の歴史、芸術、文化を保全する努力をしていただきありがとうございます。この夏、ご家族の皆さまと一緒に楽しく過ごせるように祈っております。では、安全に残りの夏をお過ごし下さい。