ブリティッシュ・コロンビア州の日系カナダ人に対して行われた歴史的な不正行為を正すための勧告報告書

 日系カナダ人コミュニティーの公聴会報告 

2019年10月 

 (写真) 

スローキャン収容所に列車で到着する日系カナダ人。カナダ連邦図書館・記録保管所、資料番号1 

この報告書を日系カナダ人一世、二世、三世、特に次のような人たちを考慮して作成しました。今まで世間から忘れられていた人、どのような生活をしたのか他の人に話したことのない人、人種憎悪と人種差別的な政治目的のために肉体、心、魂が傷つけられ元に戻ることのなかった人、強制収容中に死亡した人、カナダ東部に移動してブリティッシュ・コロンビア州の故郷に帰る前に死亡した人、連邦政府の謝罪を聞く前に死亡した人、そして、それらの人々に続く子孫のために。 

謝辞 

全カナダ日系人協会(NAJC)は過去に日系カナダ人にたいして行われた不正義を正す活動を続けていますが、カナダ先住民の方々もカナダ全土で現在にも続く苦難に対して戦っておられることに敬意を表し、その御努力を賞賛いたします。 

省略語の意味 

BC ブリティッシュ・コロンビア州 

LOI 「不正義の風景」プロジェクト 

MLA ブリティッシュ・コロンビア州・州議会議員 

MP カナダ連邦議会議員 


日本語の意味 

一世 日系カナダ人の第一世代(日本からカナダに移民して来た人) 

二世 日系カナダ人の第二世代(カナダ生まれの第一世代) 

三世 日系カナダ人の第三世代(カナダ生まれの第二世代、多くは強制収容所経験者の子ども) 

四世 日系カナダ人第四世代(カナダ生まれの第三世代、多くは日系カナダ人と他のカナダ人との混血なので二分の一日本人) 

五世 日系カナダ人第五世代(カナダ生まれの第四世代、多くは混血の両親の子どもなので四分の一日本人) 

(写真) 

スローキャン収容所のテントの列、推定1942年、日系カナダ博物館、2010.49.11 


目次 

謝辞と用語集 ⅱ 

NAJC会長のメッセージ 2 

報告の概要 3 

1 はじめに 5 

2 歴史的背景 6 

3 公聴会の過程 15 

3.1 付託事項 15 

3.2 公聴会の方法 16 

4 公聴会の主要な結果 17 

4.1 ブリティッシュ・コロンビア州の公立学校教育を強化する 17 

4.2 人種差別と差別一般と闘うための具体的な措置を講ずる 18 

4.3 追悼を通じて市民の意識を高める 20 

4.4 日系カナダ人コミュニティー遺産基金を創設する 22 

4.5 ブリティッシュ・コロンビア州政府が果たした役割 

を公式に認め謝罪する 24 

4.6 その他の結果 27 

5 結論 28 

付録 29 

付録文章の完全な一覧表はここをご覧ください。 

https://najc.ca/bc-redress-appendices/ 

付録A ブリティッシュ・コロンビア州政府への提案と契約 

付録B 公聴会資料 

付録C 公聴会記録 

付録D 個人の話と回想 


NAJC会長のメッセージ 

私はNAJCを代表して「ブリティッシュ・コロンビア州の日系カナダ人に対して行われた歴史的な不正行為を正すための勧告報告書」をブリティッシュ・コロンビア州政府に提出することを名誉に思います。この報告書はNAJCが日系カナダ人の公聴会を開き、ブリティッシュ・コロンビア州政府が2012年に州議会で可決した「太平洋戦争中の日系カナダ人の強制収容に対する謝罪動議」を具体的に有意義にするための方法を討議した結果を概括した報告です。 

公聴会では人種差別と強制収容を経験した人から話を聞きました。家族が離れ離れにされたこと、教育機会を拒否されたこと、人種差別などの話です。ブリティッシュ・コロンビア州リドレスは日系カナダ人社会にとってとても身近な個人的なことです。多くの日系カナダ人家族は長い間ブリティッシュ・コロンビア州で生活していました。例えば私の祖先は1800年代にブリティッシュ・コロンビア州に日本から移民してきました。これらの人たちの子孫は、もし第二次世界大戦の戦前、戦中、戦後のブリティッシュ・コロンビア州政治家の日系カナダ人に対する強引な迫害がなかったら、現在でもブリティッシュ・コロンビア州で生活していたでしょう。 

多くの四世と同じように、わたしも日系カナダ人の歴史や強制収容の経験について知りませんでした。子供の時に母に連れられてバンクーバーのヘイスティングス・パークで開かれた太平洋カナダ博覧会に行ったことを覚えています。母は私がこども動物園に行くのを嫌がりました。わたしは大人になってから、私の家族はバンクーバー島の家から時間の猶予も与えられずに、いくつかのスーツケースを持っただけで、ヘイスティングス・パークの仮収容所に強制的に移動させられたことを知りました。わたしの家族はバンクーバー島の清潔な良く手入れのされた家から突然ヘイスティングス・パークの家畜の匂いの強く残る家畜展示場に収容され、次にはブリティッシュ・コロンビア州内陸部のポポフのテント村の収容所に移りました。 

わたしの母の話は他の多くの日系カナダ人の経験したことと同じです。私達はこのような話を大切にして、皆と日系カナダ人の歴史を共有し、人種差別の根絶に役立てようとおもいます。私達は私達の祖先の一世、二世、三世の人たちに敬意を表するとともに、現在と未来の社会正義を追求したいとおもいます。日系カナダ人の強制収容と財産没収は政府が行いました。私達は現在のブリティッシュ・コロンビア州政府が私達の公聴会を支援をするために最初の一歩を踏み出してくれたことを感謝します。私達は次の段階で日系カナダ人22,000名の人権侵害、経済的な損害と他の損害を正し、これらを直接経験した人だけでなく、これらの人の子孫にまで及んだ負の影響を正す有意義な方法を実行するために、ブリティッシュ・コロンビア州政府と一緒に活動することを待ち望んでいます。日系カナダ人のブリティッシュ・コロンビア州リドレス問題の解決は、このような不正義が将来行われるとことを防ぐことにもなります。 

ロリン・オイカワ 

全カナダ日系人協会会長 


報告の概要 

ブリティッシュ・コロンビア州政府の支援を得て、全カナダ日系人協会(NAJC)は広範囲な公聴会のプロセスを調整していきました。それにはブリティッシュ・コロンビア州の9箇所で行った日系カナダ人の公聴会、オンラインによる公聴会、オンライン調査、個人と団体からの意見書がふくまれています。公聴会は2019年4月から9月に行われました。公聴会に参加した人は皆、次の質問に答えることを要請されました。「あなたは日系カナダ人社会を壊滅させたブリティッシュ・コロンビア州政府による人種差別と不正義な政策の歴史を正すために、ブリティッシュ・コロンビア州政府は何をすべきだとおもいますか?」 

公聴会から明らかになったテーマをその重要度の順にまとめると、次の五つの勧告になります。 

1.ブリティッシュ・コロンビア州の公立学校教育を強化する。日系カナダ人の歴史をブリティッシュ・コロンビア州の小学校、中学校、高校の教育課程に必修科目として取り入れる。この科目をオンラインで公開する。日系カナダ人の体験を教えるための教師の訓練プログラムをすべての学年の教師に提供する。日系カナダ人の歴史の教育手段とオンラインのデジタル図書館を調査し、開発するための学術的な奨学金を設ける。 

. 人種差別と差別一般と闘うための具体的な措置を講ずる。ブリティッシュ・コロンビア州政府が独立の組織を作ってブリティッシュ・コロンビア州政府の現在の人種差別対抗政策を、人種差別の被害者団体、被害者救援組織と協議して見直し、再評価するよう促す。この独立組織はブリティッシュ・コロンビア州の人種差別に対抗するプログラム、サービス、教育資料を開発すべきであり、また同様に憎悪活動、スピーチに対抗する政策を開発していく。 

3.追悼を通じて市民の意識を高める。基金を創設して、新しい博物館と現存する博物館(特に日系カナダ人全国博物館)を支援し、歴史的な場所、記念物の保持をする。日系カナダ人に大切な歴史的な場所を取り戻す。また日系カナダ人の歴史を思い出すように1949年の日系カナダ人の参政権と移動の自由の獲得を祝う公式な記念日を設定する。この記念日設定のための記念物を作る。 

4.日系カナダ人コミュニティー遺産基金を創設する。この基金を創設して、日系カナダ人コミュニティーが運営にあたり、日系カナダ人コミュニティーの発展とそれに必要なもの、例えば高齢者の介護サービスと住宅、日系カナダ人コミュニティーの福祉を増進するような活動、過去の心の傷を癒すための活動、日系人コミュニティーの人々の交流を促進する活動、脆弱なコミュニティーを強固にする活動、日系カナダ人子弟のための中等教育以降の教育のための奨学金、憎悪拡散に対抗する運動などを援助する。 

5.ブリティッシュ・コロンビア州政府が果たした役割を公式に認め謝罪する。NAJCは旧ブリティッシュ・コロンビア州政府が日系カナダ人に対して行った数々の不正を認めて正式に謝罪することを要求する。これらの不正行為で日系カナダ人は肉体的、精神的に傷づいた。またこれらの不正義で強制収容され、住居から追い払われ、財産を没収され、日本に送還された日系カナダ人の生存者に真摯に謝罪することを要求する。ブリティッシュ・コロンビア州政府は謝罪の声明を日系カナダ人と協議して作成し、ブリティッシュ・コロンビア州首相がブリティッシュ・コロンビア州議会で発表する。 

(写真) 

タシミ、1943年、日系カナダ人全国博物館、2012.12.45.1.12 


1 はじめに 

この報告書はNAJCが日系カナダ人社会で行った公聴会の結果をまとめたものです。公聴会の目的は2012年にブリティッシュ・コロンビア州議会が全会一致で可決した、太平洋戦争中の日系カナダ人の強制収容に対する謝罪動議を有意義にするために必要なブリティッシュ・コロンビア州政府の具体的な活動をブリティッシュ・コロンビア州政府に勧告することでした。 

In addition to providing useful insights into appropriate redress measures that could be undertaken by the BC Government, the consultation process provided an opportunity for Japanese Canadians to share family stories. Speaking publicly about their past was a deeply traumatic and painful experience for many. It was distressing to articulate the lasting impact of our shared experience on individuals, on families across generations, and on our community. 

ブリティッシュ・コロンビア州政府が適切な救済措置をとる上で役に立つ洞察を提供することに加えて、この公聴会の過程は、日系カナダ人の経験を皆と共有する機会でもありました。多くの参加者にとって自分の経験を皆の前で話すことは、深く心を傷つけ、多くの痛みを伴うものでした。日系カナダ人が経験した人種差別が個人、家族、そして私たちのコミュニティーに負の影響を与えていることを確認するのは辛いことでした。 

少数の回答者の中には、今になってブリティッシュ・コロンビア州政府に日系カナダ人を苦しめた政策をとったことを悔い改めてもらってももう遅すぎるという人もいました。しかし参加者の大多数は、ブリティッシュ・コロンビア州政府は今でも過去の過ちを正すことは出来るし、またするべきだという意見でした。日系カナダ人コミュニティー協議により、五つのテーマが生み出されました。そして、NAJCは、ブリティッシュ・コロンビア州政府が日系カナダ人コミュニティーと一緒にその五つのテーマを近い将来に更に発展させていくことを強く奨励します。ブリティッシュ・コロンビア州政府がNAJCの勧告を受け入れることは、2012年の謝罪動議を具体的で有意義なものにし、かつ将来に渡って持続できる活動に導くものだとおもいます。私達はこの報告書の勧告は、ブリティッシュ・コロンビア州が誰でも歓迎し受け入れる社会に向かって進む出発点になるとおもいます。この報告書をブリティッシュ・コロンビア州政府に提出するにあたって、この報告書の作成に関わったすべての人々に深く感謝いたします。 


2 歴史的背景 

日本人のカナダへの移民 

日本人が最初にブリティッシュ・コロンビア州に住んだ記録は1877年です。他の国からのカナダ西海岸への移民と同様に、日本人移民もいろいろな仕事に就きました。製材所、鉱山、漁業、農業、鉄道の敷設、商業などです。日本人移民はブリティッシュ・コロンビア州の社会インフラの整備や産業の発展に貢献しましたが、他のアジア系移民やカナダ先住民と同様にその社会的位置は最下位でした。ブリティッシュ・コロンビア州政府は1872年に中国系カナダ人の参政権獲得を拒否し、その後も反アジア系移民政策を取り、日系カナダ人の参政権獲得を1895年に拒否し、南アジア系カナダ人の参政権獲得を1907年に拒否しました。 

日本人移民は移民の初期においても、正義と平等を追求しました。例えば1900年に本間留吉はアジア系カナダ人の参政権禁止に対してブリティッシュ・コロンビア州政府を起訴しました。本間は地方裁判所とブリティッシュ・コロンビア州最高裁判所で裁判に勝ちましたが、ブリティッシュ・コロンビア州政府はこの結果を受け入れず、カナダ連邦政府の支持もないままに、英国枢密院に上訴しました。ブリティッシュ・コロンビア州は1920年まで、「カナダ自治領選挙法」の中の1項である「人種に基づいて参政権を拒否できる」を援用して日系カナダ人や他の移民の参政権を拒否したカナダの二つの州の一つでした¹。 

日系カナダ人に対する差別 

1907年までに日系カナダ人の人口は18,000人を超え、増加し続けました。他の人種的少数派と同様に日系カナダ人も白人社会から人種差別を受け、敵意をもって見られました。このような白人社会のアジア人差別に基づいた組織に「アジア人排斥同盟」がありました。この同盟の目的はアジアからの移民を中止することでした。1907年9月、この同盟の会員が市役所の前に集まり、中華街を襲撃して家屋や商店を破壊し略奪しました。そして次にパウエル街に移動すると、日系カナダ人を殺すと脅しました。日系カナダ人はこの襲撃を阻止出来ましたが、主流のメディアは日系カナダ人の防御を曲解して、日系カナダ人は憎悪活動の被害者ではなく凶暴な外国人だと報道しました。この事件の翌年、日本政府とカナダ政府は非公式ながら協定を結び、日本からの移民を毎年男子400名に限定しました。 

(ページ左の注) 

1 サスカチュワン州も中国系カナダ人の参政権を人種に基づいて拒否したが、その人数はブリティッシュ・コロンビア州よりずっと少なかった。エレクション・カナダの第二版79項、「カナダにおける選挙の歴史」を参照のこと(2007年カナダ選挙執行官オタワ事務所出版)。 

(写真) 

1907年の暴動、ブリティッシュ・コロンビア大学記録文書所、JCPC_017 

日常的な敵対行為と政府の制限にも拘わらず、日系カナダ人のビジネスはパウエルストリートで成長し続けました。1916年、200人以上の日系カナダ人がカナダへの忠誠を示すため、軍隊に志願しましたが、彼らは入隊を拒否されました。うち、196人が、イギリス軍カナダ大隊に参加するためにアルバータに旅しました。第一次世界大戦において、54名の日系カナダ人が殺され、92名が負傷しました。兵士たちは戻ったら投票権を約束されていましたが、投票権を得るためには1931年まで待たねばなりませんでした。 

日系カナダ人は他のアジア系カナダ人およびカナダ先住民と同様に参政権を持っていなかったので、教師や弁護士のような専門職に就くことが出来ませんでした。また賃金も白人労働者より低く、労働組合にも入れませんでした。このような数々の制限にも関わらず、日系カナダ人はいろいろな産業で成功しました。例えば、日系カナダ人漁師は1919年にブリティッシュ・コロンビア州で発行されていた漁業許可証3,267枚の半数以上を保有していました。しかし、仕事で成功すると、それがまた白人カナダ人の敵意を招きました。1925年までに日系カナダ人漁師が持つ1,000近くの漁業許可証が取り上げられました。白人漁師に対する競争を制限するためでした。 

太平洋戦争が始まると、日本帝国軍隊は作戦を拡張していきました。カナダでは日本帝国軍隊が太平洋を超えてカナダ西海岸まで進出するのではないかという危惧が生まれました。1941年3月から8月にかけて、カナダ連邦警察は16才以上の日系カナダ人総ての登録を義務づけました。またブリティッシュ・コロンビア州教育大臣のH.G.ペリーは公立学校に通学するすべての日系カナダ人児童を「潜在的に問題を起こす人」として調査することを命じました²。しかし、これらの異常な政策が出てきたのは、カナダ人が日本との戦争を恐れていたからという理由だけでは説明できません。というのはカナダの敵国だったドイツとイタリアを祖国とするドイツ系カナダ人とイタリア系カナダ人に対する政策より日系カナダ人に対する政策はるかに厳しいものだったからです³。日本との戦争への恐怖は、ブリティッシュ・コロンビア州の一般カナダ人がすでに持っていた反アジア系カナダ人、反日系カナダ人感情に火をつけたのです。 

(写真) 

新聞に掲載された日本人および日本人を祖先とするカナダ人に対する通告 

バンクーバー公立図書館、資料番号12851 

日本人および日本人を祖先とするカナダ人に対する通告 

ブリティッシュ・コロンビア州治安委員会通告21,22,23,24号に基づき、次の地域に日本人を祖先に持つカナダ人すべてが入る事を禁止する。 

ルールーアイアランド(スティーブストンを含む)、シーアイランド、エバーン、マーポール、クイーンズボーロー地区、ニューウェストミンスター市、サッパートン、ブーキトラン、ポートムーディー、イオコ、ポートコキットラム、メイラードビル、フレーザーミルズ 

上記の地域にブリティッシュ・コロンビア州治安委員会または連邦警察の許可証を所持せずに侵入した、日本人を祖先にもつ日系カナダ人はブリティッシュ・コロンビア州政府内閣令1665号により罰金が課せられる。 

ブリティッシュ・コロンビア州治安委員会委員長 アースティン・C・テイラー 

第二次世界大戦 

1941年12月7日、日本帝国海軍が真珠湾を攻撃するとすぐに、カナダは日本に宣戦布告し、日系カナダ人の夜間外出禁止令を敷き、いろいろな制限を設けました。反アジア主義団体と政治家の圧力を受け、1942年カナダ連邦政府は戦時特別法を用いて日本人を祖先に持つ人日系カナダ人全員をカナダの治安に対する脅威と規定して、さまざまな権利を剥奪しました。これらの政策はブリティッシュ・コロンビア州の有力政治家、例えばブリティッシュ・コロンビア州検事総長R.L.メイトランドによって推進されました。1942年1月30日にメイトランドは、日系カナダ人はカナダ西海岸地域にとって本当に危険な人たちなので、連邦政府が直ちに対策をとることを要求すると宣言しました。ブリティッシュ・コロンビア州連立政府の二人の政治家、労働大臣ジョージ・ピアソンと元ブリティッシュ・コロンビア州・州議会保守党議員マックレガー・マッキントッシュは1942年1月8日と9日にオタワに行き、連邦政府が日系カナダ人をブリティッシュ・コロンビア州の海岸地域から排除するようにと陳情しました⁴。1942年1月23日にピアソンはブリティッシュ・コロンビア州議会で、連邦政府に日系カナダ人を排除するためにブリティッシュ・コロンビア州が作成した詳細な計画を提出したと報告しました⁵。 

バンクーバー市市会議員、ブリティッシュ・コロンビア州議会議員、イアン・マッケンジーを含むブリティッシュ・コロンビア州選出の連邦議会議員などの政治家が連邦政府にブリティッシュ・コロンビア州から日系カナダ人とアジア系カナダ人を排斥することを働きかけました。 

(ページ左の注) 

2 ビクトリア・デイリー・タイムス新聞、1941年12月18日、2 

3 ジョン・プライス、「七五年間は長すぎる」(ビクトリア、ビクトリア大学アジア-太平洋研究、2,016年)⁶、次のサイトから採録https://www.uvic. ca/research/centres/capi/assets/ docs/MMP_Price_Working_ Paper_v2.pdf. 

4 この会合の詳細は次を参照のこと。モーリス・A・ポープ「兵士と政治家、副総督モーリス・-A・ポープ回顧録」(トロント、トロント大学出版局、1962年)とエスコット・リード「急進的な官僚エスコット・リード回顧録」(トロント、トロント大学出版局、1989年) 

5 ジョン・プライス、「七五年間は長すぎる」⁷ 

日系カナダ人の強制収容 

カナダ軍上層部は、日系カナダ人はカナダにとって危険ではない、として日系カナダ人の排斥に協力することを拒否しました。しかし連邦政府は政治的圧力に屈して、ブリティッシュ・コロンビア州にブリティッシュ・コロンビア治安委員会を設置して日系カナダ人の排斥を管理させました。1942年2月24日に連邦政府内閣は内閣令1486号を発令して、連邦政府法務大臣にブリティッシュ・コロンビア州の海岸から100マイル以内の「保護領域内」に住む日本人を祖先に持つすべての日系カナダ人を排除し、敵性外国人資産管理官に日系カナダ人の不動産、ビジネス、個人の所有物すべてを没収する権限を与えました。日系カナダ人男性、女性、児童は24時間以内に自宅を離れ、収容所または道路建設現場に移動することを命じられました。男性と女性は離れ離れにされましたが、二世が抗議して家族が一緒にいられるようになりました。家族と一緒にいられるように多くの日系カナダ人はアルバータ州とマニトバ州の砂糖大根農場に労働者として移動すること選びました。 

(写真) 

マニトバ州の砂糖大根農場、家族と一緒にいるためにまるで奴隷のような条件の契約で働いた。アート・ケイコ・ミキ 提供 

(写真) 

日系カナダ人漁師から没収した漁船、カナダ国防省、カナダ図書館・記録文書保管所、資料番号1967-052-3193627 

敵性外国人資産管理官は日系カナダ人の資産を安全に保管すると約束しましたが、実際は持ち主の承諾を得ないまま1943年に市場価格より安く売却してしまいました。ブリティッシュ・コロンビア州とバンクーバー市は日系カナダ人資産の強制売却を積極的に支持しました。日系カナダ人は強制売却からの收入を収容所生活の費用に当てなければなりませんでした。歴史的な調査によると、ブリティッシュ・コロンビア州政府は日系カナダ人の権利の剥奪と資産の没収、売却に直接に関与し、利益を得ていました⁶。 

1943年にブリティッシュ・コロンビア州は、教育は州の責任であるにもかかわらず、日系カナダ人の学齢期の児童2,800名の教育費の負担を拒否して、児童が教育を受ける権利を否定しました⁷。 

戦後の差別 

1945年8月14日に第二次世界大戦は日本の無条件降伏で終了しました⁸。しかし連邦政府は戦時特別法の行政権を延長して日系カナダ人がブリティッシュ・コロンビア州沿岸部に戻ることを制限しました。これは日本人を祖先に持つ日系カナダ人をブリティッシュ・コロンビア州から排除する意図的な政策でした⁹。1946年に連邦政府は本国送還法を作り、日系カナダ人に日本に行くか、またはロッキー山脈以東に移動するかを強制的に選択させました。 

1947年から1951年まで「日系カナダ人の請求に関する王立委員会」はバード委員会10という呼称で知られていますが、日系カナダ人の資産の没収、売却の損害を調査し補償する目的で活動しました。しかしバード委員会はその調査対象が制限されていたことにより、日系カナダ人の被った損害のごく一部しか補償しませんでした。このため、日系カナダ人は、バード委員会のことを損害補償を不当に解決したものと記憶しています。歴史家は、連邦政府はバード委員会を使って、連邦政府の日系カナダ人に対する損害補償額を軽減し、連邦政府が日系カナダ人に対して不正を行った事実を認めるのを避けた防衛的なメカニズムであると評価しています11。資産を没収、売却された日系カナダ人15,000名のうち、たったの1,400名が補償請求を提出しただけでした。そして連邦政府の補償額は1,400名が提出した補償請求額の半分を少し超えた額にしかなりませんでした12。 

1949年4月1日、第二次世界大戦が終了してから4年経って、日系カナダ人に対する移動の制限がやっと解除され、日系カナダ人は太平洋沿岸地域に帰ることができました。1947年4月に中国系カナダ人、南アジア系カナダ人は参政権を獲得しましたが、日系カナダ人とカナダ先住民は除外されました。日系カナダ人がカナダ市民としての権利を獲得したのは1948年でしたが、ブリティッシュ・コロンビア州では1949年になってからにすぎませんでした。1872年から1948年の間に170本の差別的法案がブリティッシュ・コロンビア州のあらゆる党派の政治家によって可決されました。 1947年1月24日になりやっと日系カナダ人の本国送還を可能にした内閣令は、教会関係者、学者、ジャーナリスト、政治家の抗議があって廃止になりました。歴史を調べると日系カナダ人をブリティッシュ・コロンビア州から排除しようという政策は第二次世界大戦以前からあり、戦争終了後も継続しました。人種差別に強く根ざした政策であったのです。 

(ページ左の注) 

6 ブリティッシュ・コロンビア州議会議員、監査役、および労働大臣がブリティッシュ・コロンビア治安委員会諮問理事会の構成員であった。ブリティッシュ・コロンビア治安委員会報告「保護地域からの日本人の排除」バンクーバー、1942年 

7 この政策に関する資料はたくさんあるが、やり取りされた文書は公開されていない。次を参照のこと。「カナダ国内追放中の教育」トロント、ゴーストタウン教師歴史協会、2001年の中の“フランク・モリツグとゴーストタウン教師歴史協会“ 

8 「太平洋戦争の終了」カナダ退役軍人庁、2019年2月14日 

次のサイトから採録:https://www.veterans.gc.ca/eng/ remembrance/history/secondworld-war/canada-and-thesecond-world-war/pacwar 

9 1948年にブリティッシュ・コロンビア州の自由党政府首相バイロン・ジョンソンは連邦政府首相マッケンジー・キングに日系カナダ人が太平洋沿岸の戻ることを禁止する内閣令の延長を要請した。アン・スナハラ「人種差別の政治:太平洋戦争中の日系カナダ人の追放」トロント、ジェームズ・ロリマー会社、1981年)ブリティッシュ・コロンビア州政府は日系カナダ人がブリティッシュ・コロンビア州に戻れないことを更に確実にするために、日系カナダ人を引き続きブリティッシュ・コロンビア州から排除するための費用の半分を1948年3月31日から連邦政府に払うことを決定した。連邦政府日本人に関する内閣特別委員会議事録1948年1月15日、カナダ図書館・記録文書保管所、記録文章第25グループ、1866巻、1939-263ページ 

10 正式名は「1941年にブリティッシュ・コロンビア州に居住していた日本人を祖先に持つカナダ市民による、日系カナダ人の不動産および個人の所有物が敵性外国人資産管理官によって適正な市場価格よりやすく売却されたという苦情を調査する王立委員会」 

11 ケイトリン・フィンドレイ「バード委員会、日系カナダ人、そして国家の暴力としての本国送還」ビクトリア大学、2018、161ページ 

12 アン・ゴーマー・スナハラ「人種差別の政治:第二次世界大戦中の日系カナダ人の追放」トロント、ジェームズ・ロリマー会社、1981年)142ページ 

1942年にカナダ連邦政府は誤りを犯しました。ブリティッシュ・コロンビア州の政治家の議論とは逆にカナダ連邦警察とカナダ軍上層部は日系カナダ人がカナダ国家の治安上の問題になることも、軍事的な脅威になることもまったくないと連邦政府に進言しています。それは、厳密にいえばブリティッシュ・コロンビア州の問題であったのです。それにもかかわらず連邦政府は1942年2月に戦時特別法を発動してカナダ太平洋岸沿岸地域からのすべての日系カナダ人の排除を敢行したので

1988年日系カナダ人戦時補償合意 

1988年9月22日に連邦政府首相は連邦議会下院で、連邦政府が第二次世界大戦中に日系カナダ人政策で犯した誤りを認め謝罪しました。連邦政府が誤りを認めることは、NJACと連邦政府との長い交渉の結果の合意の一部でした13。またこの合意は日系カナダ人への21,000ドルの個人補償と1200万ドルの日系カナダ人コミュニティー再興基金、戦争中に不正に投獄された日系カナダ人の赦免、戦後に不正に日本に送還され、カナダ市民権を剥奪された日系カナダ人とその子孫へのカナダ市民権の復権が含まれていました。2400万ドルのカナダ人種間関係基金もカナダにおけるあらゆる種類の人種差別を根絶する目的で設立されました。 

2012年のブリティッシュ・コロンビア政府の謝罪動議 

日系カナダ人と連邦政府との日系カナダ人戦時補償問題合意が締結されてから20年後の2012年5月7日に、次の動議がブリティッシュ・コロンビア州議会において全会一致で可決されました。「第二次大戦中に連邦政府の戦時特別法の下に21,000名あまりの日系カナダ人がブリティッシュ・コロンビア州内陸部の収容所に収監され、資産を没収されたことにブリティッシュ・コロンビア州議会は謝罪する。ブリティッシュ・コロンビア州議会は日系カナダ人が日本人を祖先に持つというだけで差別されたことを深く後悔する。ブリティッシュ・コロンビア州は先祖のいかんにかかわらず、すべてのカナダ人を歓迎し、敬意を払う。」 

(ページ左の注) 

13 プライス・ウオーターハウスの「1941年以降の日系カナダ人の経済的損失の研究」を参照のこ 

と。研究(ウィニペグ、NAJC、1986年)。 

(写真) 

スローキャンへの到着。日系カナダ人文化センター、2001.9.97 

動議はブリティッシュ・コロンビア州高等教育大臣ナオミ・ヤマモトによって提出されましたが、ブリティッシュ・コロンビア州首相はこの動議について発言しませんでした。もっと大切なことはこの動議はブリティッシュ・コロンビア州政府が誤りを犯したことについて言及しなかったことです。 

ブリティッシュ・コロンビア州政府の日系カナダ人コミュニティーに関しての活動 

ブリティッシュ・コロンビア州政府はブリティッシュ・コロンビア州における日系カナダ人の経験に関して次のような活動をしました。2015年にブリティッシュ・コロンビア州芸術協議会は「ヘイスティングス・パーク1942年」という教育的なウェブサイトの設立と、ヘイスティングス・パークの建物で1942年に日系カナダ人を仮収容するために使われたものに標識をつける資金を提供しました。2016年には日系カナダ人の歴史的な場所を認識するプログラムを創設して、日系カナダ人がブリティッシュ・コロンビア州の多様性と発展に貢献した56箇所の場所を選定しました。2017年の日系カナダ人の強制収容75周年にブリティッシュ・コロンビア州交通社会基盤省は、高速道路三号線のホープ市の東にあるサンシャインバレイー・タシミ博物館に、ここが日系カナダ人の収容所であったことを示す永久的な標識を建てました。 

2018年4月19日にNAJCはブリティッシュ・コロンビア州・州政府に過去のブリティッシュ・コロンビア州政府の過ちを正すための方法とその範囲を日系カナダ人コミュニティーと話し合うことを正式に要請しました。2019年3月20日にブリティッシュ・コロンビア州政府はNAJCと契約を結びました。この契約はNAJCが日系カナダ人の公聴会を開き、ブリティッシュ・コロンビア州政府の2018年の謝罪を日系カナダ人社会にとって有意義なものにするためにブリティッシュ・コロンビア州政府がどのような活動をしたらよいかということに関して意見を集めて検討し、ブリティッシュ・コロンビア州政府に勧告案を提示するというものでした(付録Aを参照のこと)。この報告書は公聴会の結果をまとめたものです。 

3 公聴会の手続き 

3.1 付託事項 

2019年3月20日のNAJCとブリティッシュ・コロンビア州政府との契約はNAJCがブリティッシュ・コロンビア州の次の9箇所で日系カナダ人が一堂に会した公聴会を開くというものでした。 

 バンクーバー 

 バーナビー 

 スティーブストン 

 ビクトリア 

 ナナイモ 

 キャムループス 

 バーノン 

 ケロウナ 

 ニューデンバー・ネルソン 

また一堂に会した公聴会を開くことが難しいブリティッシュ・コロンビア州北部地域などではオンライン公聴会を用意しました。ブリティッシュ・コロンビア州以外の日系カナダ人でブリティッシュ・コロンビア州から強制移動させられた人にも公聴会に参加できる機会を与えるために、それぞれの州及び準州のNAJCの正会員団体と連絡をとって公聴会を開きました。 

NAJCではブリティッシュ・コロンビア州政府との2019年3月20日の付帯事項以上のことを公聴会のために行いましした。公聴会用の資料をまず予備公聴会で使用して試験しました。そして予備公聴会の結果について、その正確さ、効率性、完璧さ、適切さという観点から見直しました。公聴会で聞いた意見を総て集めて検討し、日系カナダ人コミュニティー全体としてブリティッシュ・コロンビア州政府に何を望んでいるかをまとめました。この報告は17の会合による公聴会と6のオンライン公聴会に参加した428名の意見と165のオンライン調査と文書による意見書に基づいています。付録Cに公聴会の種類、場所、日付、内容の詳細が記されています。 

3.2 公聴会の方法 

すべての公聴会が同じように行われ、結果が集計、分析できるように、NAJCは先ず公聴会で参加者に尋ねる質問と配布する資料を決定しました。公聴会の進行係と記録係に公聴会で使うパワーポイントによる公聴会の説明、「川を遡って泳ぐ」というビデオ、参加者に配る文書を渡して公聴会で参加者が質問に答え、小グループで討論するのを容易にしました。また進行係と記録係には公聴会のやり方を書いた説明書と公聴会の概要と詳細を記録する「公聴会記録用紙」を渡しました。公聴会で使用したすべての材料は付録Bを参照してください。 

(写真) 

バーノンの公聴会。ケブン・オカベ提供 


公聴会の主要な結果 

公聴会で参加者は次の質問に答えるように依頼されました。 

「あなたはブリティッシュ・コロンビア州政府が日系カナダ人コミュニティーを壊滅させてしまった人種差別政策と不正義を正すために何をすべきだとおもいますか?」 

この質問に対する参加者の回答は多岐に亘りました。公聴会を通じて現れたテーマに共通する回答はつぎの五つの分野にまとめることが出来ます。 

4.1ブリティッシュ・コロンビア州の公立学校教育を強化する 

公聴会で分かったことの一つに、日系カナダ人は、ブリティッシュ・コロンビア州の住民が日系カナダ人が被った不正義を「カナダの歴史で二度と起こってはならないもの」として認識するための教育をしたいという思いをもっていることです。過去に行われた不正義を知ることは、将来おなじようなことが再び起こらないようにするために必要です。しかし現在、ブリティッシュ・コロンビア州の学生は高校卒業までに学校で日系カナダ人の歴史を学ぶ機会がありません。ブリティッシュ・コロンビア州の若い人たちはブリティッシュ・コロンビア州の過去の人権侵害の事実をしっかりと認識して、我々が社会全体としてこのような不正義が行われたことを忘れないようにする必要があります。 

公聴会の結果に基づき、NAJCは次の事を勧告します。 

4.1.1 公立学校の教科課程を向上する 

公聴会の参加者は公立の小学校、中学校、高校の教育課程に日系カナダ人の歴史を必修科目として取り入れることを強く要望しました。義務教育課程の基礎必須知識分野を再検討して日系カナダ人の体験に関する学習が十分に取り入れられているようにすべきです。 

日系カナダ人の歴史に関連した教育内容には次のような事柄を入れます。ブリティッシュ・コロンビア州の差別的な法律の歴史、日系カナダ人のブリティッシュ・コロンビア州の発展への貢献、財産の没収、強制移動、現在の人種問題、人種による人間の選別化、移民の苦労話、人種憎悪、差別の政治など。ブリティッシュ・コロンビア州の人種差別を経験した日系カナダ人の生存者とその家族の話をオンライン・ビデオ・インタービューにして、日系人の歴史の話を生き生きしたものにする。 

4.1.2 日系カナダ人の歴史を教えるための資料をオンラインで利用できるようにする。 

オンラインの資料はブリティッシュ・コロンビア州のどこでも利用でき、またオンラインのデジタル資料は若い人たち及び将来の世代が日系カナダ人の歴史に親しみを覚えるために大切です。 

4.1.3 教師が日系カナダ人の歴史を教えるための訓練に資金を提供する。 

ブリティッシュ・コロンビア州政府は小学校、中学校、高校の教師が日系カナダ人の体験を教えるために必要な訓練を受けられるように資金援助をすべきです。これは、すでに作られた授業計画やこの科目について訓練を受けた教師といった、すでにあるリソースを使うことも含まれます。教師の研修は、日系カナダ人の体験を教える教育方法に均一性を与えるために決定的に重要な要素です。 

4.1.4 調査、研究に奨学金を与える。 

ブリティッシュ・コロンビア州政府はブリティッシュ・コロンビア州の歴史の中で、ユニークなエピソードである日系カナダ人の歴史を研究するための奨学金を設立し、日系カナダ人の歴史教育のための資料を豊富にすべきです。今までは日系カナダ人に関する書籍は小さな出版社から少ない部数だけ出版されていました。日系カナダ人の歴史資料を、「不正義の風景」プロジェクト14がしたように、オンラインデジタル図書館やデータベース化すること及びその他の技術を使って保存して、研究者、作家、日系カナダ人の歴史に興味を持つ人、総てが利用できるようにします。このオンライン資料作成は日本語文書の英訳、すでに出版されている書籍のデジタル化、報告書、日系コミュニティーのニュースレターを含みます。 

4.2 人種差別と差別一般と闘うための具体的な措置を講ずる 

公聴会参加者は異口同音に日系カナダ人が経験した人種差別と社会的不正義は二度と日系カナダ人および他の人たちに起こってはならないと述べました。現在、カナダ人種間関係基金を含めて人種差別に対する幅広い対抗策があるにもかかわらず、人種差別や偏狭な考えによる増悪があちこちで起き、ときには命も奪っています。現在でも人種差別はあからさまに、また隠れた形でブリティッシュ・コロンビア州において続いています。 

(ページ左の注) 

人種差別に対抗するために、NAJCはブリティッシュ・コロンビア州政府が独立した組織を作り次のことを行うことを勧告します。 

 現在の人種差別対抗策が有効かどうか検証する。 

 人種差別を受けているグループとサービスの提供者の意見を聞く。 

 難民、及び、人種差別や人種的な選別の脅威にさらされている他のコミュニティーを支援する。 

 増悪グループとくにイスラム教徒排斥グループと白人主義者がどのようにメディアを利用して増悪宣伝活動をしているか調査する。 

 憎悪や差別を減らしつつ、人種差別や増悪宣伝活動にたいする対抗策を開発する。 

 憎悪宣伝活動に対抗するための資料を作成して配布する。 

 多様性と包容性を強調した社会への変容に向け権利擁護活動を行う。 

(写真) 

スローキャンのカトリック高校。ブリティッシュ・コロンビア州政府が日系カナダ人子弟の教育義務を放棄したので、日系カナダ人は自分たちで臨時の教育施設を作った。日系文化会館、2018.10.10.9520 

4.3 追悼を通じて市民の意識を高める 

日系カナダ人コミュニティーの人々が自分たちの経験した不正義と人種差別を記憶しておきたいと強く願っていることに私たちは留意しました。公聴会の参加者は次のような具体的な手段で自分たちの経験を広く放映して、カナダ人一般の、日系カナダ人の歴史にたいする認識を深めたいと述べました。 

(写真) 

ヘイスティングパークへの仮収容。日系カナダ博物館、資料番号1994.69.3.1621 

4.3.1 博物館に資金を提供する 

ブリティッシュ・コロンビア州政府はつぎのような資金援助を組織的に提供すべきです。 

 現存の日系カナダ人博物館(特にバーナビーの日系カナダ博物館)、展示物、プログラムを支援し保存する15。 

 日系カナダ人が定住した場所に新しく博物館を作る。 

 デジタルテクノロジー及びビデオイメージと音響を混合した技術を活用して日系カナダ人の歴史を説明する展示物を作り、カナダ各地で展示会を開く。 

 日系カナダ人の経験を記した書籍などを保存するデジタル図書館を作る。 

4.3.2 日系カナダ人の歴史にとって大切な場所を記念する活動を継続し拡大する 

ブリティッシュ・コロンビア州政府がしている、次のような日系カナダ人の歴史を記念する活動を支援する。 

 ブリティッシュ・コロンビア州に56ある日系カナダ人の歴史に大切な場所のうち、まだこの場所を説明する標識のない50箇所に説明の標識を設置する。 

 日系カナダ人に大切な場所に記念碑、芸術作品、説明標識を設置する。 

 バンクーバーのパウエル街の日系カナダ人コミュニティーの不動産でブリティッシュ・コロンビア州政府またはバンクーバー市が所有するものを日系カナダ人コミュニティーが取り戻して使用する。 

 ブリティッシュ・コロンビア州の歴史的な日本庭園や茶室を再興または保存する16。 

4.3.3 記念日を設定する 

公聴会では4月1日を日系カナダ人が参政権と移動の自由(ブリティッシュ・コロンビア州太平洋海岸から100マイル以内の「保護地域」をふくめて)を獲得した記念日にしようという提案がありました。またこの記念日は日系カナダ人だけでなく、アジア系カナダ人とカナダ先住民が参政権を獲得したことを記念する日でもあります。公聴会の参加者の多くは日系カナダ人の経験を記憶する物理的な記念物を設置(首都ワシントンにある日系アメリカ人の記念碑のようなものをBCかオタワに)することが大切だと提案しました。 

(ページ左の注) 

15 ブリティッシュ・コロンビア州バーナビーの日系カナダ博物館、ニューデンバーの収容所記念センター、グリーンウッド、ブリティッシュ・コロンビア州内の他の博物館、展示、プログラムなど、キャスロー、チェミナス、キャムループス、カンバーランド、スティーブストン、リルーエットなども含む。 

16 日本庭園は次の箇所のものを含む。ビクトリアの庭園、新渡戸記念庭園、ヘイスティングス・パークのもみじ庭園、ニューデンバー、リルーエット、ホープ、ガルフ・アイランズの庭園。 

4.4 日系カナダ人コミュニティー遺産基金を創設する 

ブリティッシュ・コロンビア州政府が日系カナダ人コミュニティー遺産基金を創設して運営を日系カナダ人コミュニティーに任せること、そしてこの基金は日系カナダ人コミュニティーの発展、活動、必要性を満たすために使われるべきだと参加者は強く論じました。 

4.4.1 高齢者向けのケアと住宅 

ブリティッシュ・コロンビア州政府の人種差別政策によって被害を受けた日系カナダ人生存者を支援する基金が必要です。どこの公聴会でも参加者はこれらの人たちに日系カナダ人の文化を良く知る人たちによる介護、住宅サービスの提供が大切であることを強調しました。とくにいままで黙っていた高齢者が残りの日々を尊厳と尊敬を維持して生活できるような高齢者向けのサービス、例えばメンタルヘルス・サービス、を強調しました。その中には金銭的に生活が困難になっている高齢者への補助手当も含みます。 

4.4.2 日系カナダ人コミュニティーの福利厚生と心の癒しプログラム 

何十年(1895年から1950年まで)も続いた反アジア主義の法律、強制収容、財産の没収、強制移動(1942年から49年まで)で壊滅した日系カナダ人コミュニティーの再興を支援する基金が必要です。福利厚生と心の癒しのためのプログラムが、組織的、歴史的な人種差別によって、個人、家族、世代間家族にもたらされた外傷性の感情的及び社会的被害を癒すために必要です。 

4.4.3 コミュニティーで集うプログラム 

多くの日系カナダ人4世と5世は政府の行動によって祖先の文化との接触を失いました。これらの世代の日系カナダ人が日本語と日本文化と接触できるように日系カナダ人コミュニティーの会合を支援し、脆弱な日系カナダ人コミュニティーを強化するための日系カナダ人コミュニティー遺産基金を創設します。この基金で、帰省、会議、世代間イベント、祭りを行い、日系カナダ人学生が高校以上の教育施設で勉強する奨学金を設立します。 

(写真) 

アングラー捕虜収容所。日系カナダ博物館、1994.48.3 

4.4.4 増悪宣伝に対抗する活動 

日系カナダ人コミュニティー遺産基金はカナダで孤立して人種差別にあっているコミュニティーやほかの人種差別に対して脆弱なコミュニティーのニーズにかなったアウトリーチの活動を通して支援します。人種間結婚率が90パーセントを超える日系カナダ人コミュニティーは、実際はカナダのあらゆる人種コミュニティーの一員です。日系カナダ人コミュニティーは血縁で他のコミュニティーに繋がっているだけでなく、他のコミュニティーと繋がろうというアウトリーチによって繋がりを深くしています。私達のこのような努力が他のコミュニティーに役立つことが大切です。日系カナダ人のユニークな歴史的経験はほかのコミュニティーが直面している苦難を理解し連携することに役立ちます。 

4.5 ブリティッシュ・コロンビア州政府が果たした役割を公式に認め謝罪する 

ブリティッシュ・コロンビア州政府による不正義を黙って受難した日系カナダ人生存者に代わって、NAJCがブリティッシュ・コロンビア州政府から適正な言葉で述べられた謝罪を公の場で受けることはとても重要なことです(付録Dに個人の経験があります)。そしてNAJCのブリティッシュ・コロンビア州リドレス運動が日系カナダ人の受難を認識し、日系カナダ人が強制収容、強制移動、財産の没収、日本送還で被った心と肉体と魂への痛手を少しでも軽減できればと願います。謝罪はヘイスティングス・パークに収容されたときに自殺を考えた若い日系カナダ人男子のためです17。またクータニー湖のほとりのキャスローに列車で到着したものの、友達と親戚から別れ、心労と疲労でキャスローの駅で座り込んでしまった一世の女性のためです18。さらに、ブリティッシュ・コロンビア州政府の公の場での謝罪は、これら二人の個人のためだけではなく、ブリティッシュ・コロンビア州政府の明らかに政治的に認可された人種差別と逆境に直面して、それまでの生活を続けることすらできなくなった多くの日系カナダ人のために必要です。 

(ページ左の注) 

17 バリー・ブロードフット、「悲しみの年月、恥辱の年月、第2次世界大戦中の日系カナダ人の話」。トロント、ペーパー・ジャックス出版、1979年、94ページ 

18 ケン・アダチ、「決して敵ではなかった敵、日系カナダ人の歴史」。トロント、マックルーランドとスチュワート出版、1976年、256ページ 

(写真) 

連邦政府と連邦警察職員の見守る中、日系カナダ人を乗せて出港するSSメイグス号。1946年6月 

カナダ連邦図書館・記録保管所、資料番号1972-051 

4.5.1 政府の最高位の人による謝罪 

歴史的な不正に対するブリティッシュ・コロンビア州政府による公式な謝罪は州政府首相によって州議会でなされるべきです。公聴会の参加者は、謝罪はブリティッシュ・コロンビア州議会の議員や州政府の大臣ではなく、州首相によってなされるのが適切であると述べました。また首相が謝罪をする歴史的な時には、日系カナダ人が同席して演説をすることが、日系カナダ人が謝罪を受け入れることを示すために大切です。 

4.5.2 謝罪の言葉は日系カナダ人コミュニティーと協議して作成さるべきこと 

日系カナダ人が被った不正義の内容は複雑で、現在の国際的な標準から見ると「民族浄化」の一面もありました。そのため謝罪の言葉は日系カナダ人コミュニティーと協議して作成することが望ましいです。謝罪の言葉は第二次世界大戦の戦前、戦中、戦後にブリティッシュ・コロンビア州政府がとった特定の政策に言及しなければなりません。特に次の政策に言及すべきです。 

 1895年から1949年までにブリティッシュ・コロンビア州政府は全部で160のアジア系カナダ人に対して差別的な法律を作った。ブリティッシュ・コロンビア州はカナダで日系カナダ人の参政権を拒否した唯一の州であった。 

 ブリティッシュ・コロンビア州の日系カナダ人強制移動の結果、1942年にはカナダの日系カナダ人の95パーセントがブリティッシュ・コロンビア州に住んでいたが、現在では60パーセントしか住んでいない。4,000人余りの日系カナダ人が日本に送還された。カナダ生まれの日系カナダ人もこの中に含まれる。 

 ブリティッシュ・コロンビア州政府は日系カナダ人子弟に教育をする責任を拒否した。 

 1945年、カナダは国際連合憲章への最初の署名国であった。またその3年後には国際連合人権宣言の作成に貢献した。連邦政府はこのようなことをしながら、一方ではブリティッシュ・コロンビア州政治家の人種差別的な意図に迎合して人権を損なうような政策を施行した19。 

(ページ左の注) 

19 当時のブリティッシュ・コロンビア州の自由党政府首相のブライアン・ジョンソンはカナダ首相マッケンジー・キングにカナダ全土に分散した日系カナダ人が太平洋沿岸地域に戻ることを阻止する内閣令の延長を進言した(アン・スナハラ、「人種差別主義の政治」トロント、ジェームズ・ロリマー出版、1981年、149ページ)。ブリティッシュ・コロンビア州は日系カナダ人が太平洋沿岸地域に戻れないことを確かにするために、連邦政府に日系カナダ人をブリティッシュ・コロンビア州以外に留めておくための費用の半分を1948年3月31日から負担すると提案した(「連邦政府内閣日本問題特別委員会議事録」1948年1月15日、カナダ図書館・歴史記録保管所、文書グループ25,1868巻、1939-263、4)。 

希望を持ち楽天的になることは抵抗の一形態になりうるといわれています。そして多くの日系カナダ人にとってこのことが前に進む方法であったことを知っています。しかし私達のなかには私達の周りをとりまいていた増悪と人種差別的な政策から受けた被害から回復できないままの人の名誉も回復し心に銘記すべきだと思います。私達は政府の謝罪を、生まれ故郷のブリティッシュ・コロンビア州に戻れないまま東部カナダで亡くなった人、政府の謝罪を一言も聞いたことのない人、収容所で亡くなった人々-日系カナダ人の参政権獲得に奔走した本間留吉も収容所で亡くなりました-に捧げたいと思います。またこの謝罪はすべてのカナダ人の尊厳と平等のために飽くことなく努力を続けた祖先の総てのためのものです。 

4.6 公聴会でのその他の結果 

どのように過去の不正義を正しても、ブリティッシュ・コロンビア州政府によって奪われた青春、機会、未来は取り戻せません。しかし日系カナダ人が多大な経済的損失を被ったことははっきりしています。公聴会では日系カナダ人の経済的損失の補償について、個人補償の要求から、このような要求に反対する意見までいろいろありました。経済的損失の補償を受けることは、一般カナダ人が、ブリティッシュ・コロンビア州政府がいかに深刻な誤りをしたかを認識するために必要だという意見もありました。 

5 結論 

この報告は日系カナダ人コミュニティーで開かれた公聴会で出されたいろいろな意見を五つのテーマにまとめたものです。この五つのテーマの勧告は、2012年にブリティッシュ・コロンビア州政府が第二次世界大戦中に日系カナダ人を強制収容したことに対して行った謝罪を具体的にするために、ブリティッシュ・コロンビア州政府は何ができるか、またはすべきか、という質問についての回答です。私達はこの報告書の意図をバンクーバーとブリティッシュ・コロンビア州の住民が広く支持することを、2019年のパウエル街祭りの時に集めた支持の署名で知り、勇気づけられました。私達はブリティッシュ・コロンビア州政府に、日系カナダ人コミュニティーと対話を続けて、この報告の中の勧告をこれから数週間、数ヶ月かけて発展させ、最後にはブリティッシュ・コロンビア州政府と日系カナダ人コミュニティーとの交渉によるブリティッシュ・コロンビア州戦時補償問題の解決に至らせることを強く促したいとおもいます。 

(写真) 

バンクーバーの公聴会。スザン・タバタ提供 

付録 

完全な付録文書は次のウェブサイトにあります。 

付録A:ブリティッシュ・コロンビア州政府関連資料 

ブリティッシュ・コロンビア州政府への最初の提案 

付託事項に対するカバーレター 

ブリティッシュ・コロンビア州政府との契約内容 

契約への追加 

契約の予定表A 

付録B:公聴会関連資料 

公聴会でのパワーポイント発表資料 

「川を遡って泳ぐ」ビデオ 

公聴会の開き方ガイド 

公聴会報告書書式 

公聴会の報道発表 

公聴会のポスター 

差別的な法律の要約 

差別法制のリスト 

BC州政府の謝罪の要約 

よく出る質問と回答 

付録C:公聴会の記録 

公聴会からの要約統計 

ブリティッシュ・コロンビア州内の公聴会の要約 

ブリティッシュ・コロンビア州外の公聴会の要約 

ブリティッシュ・コロンビア州住民とのオンライン公聴会の要約 

ブリティッシュ・コロンビア州以外の住民とのオンライン公聴会の要約 

ブリティッシュ・コロンビア州住民からのオンラインウェブ提出意見の要約 

ブリティッシュ・コロンビア州以外の住民からのオンラインウェッブ提出意見の要約 

ブリティッシュ・コロンビア州住民からの提出文書の要約 

ブリティッシュ・コロンビア州以外の住民からの提出文書の要約 

ブリティッシュ・コロンビア州内の団体からの意見提出 

ブリティッシュ・コロンビア州以外の団体からの意見提出 

ブリティッシュ・コロンビア州における初期の公聴会の結果 

付録D:個人的な話と回想 

メアリー・キタガワの伝記 

ミッツ・スミヤの伝記 

公聴会はNAJCブリティッシュ・コロンビア州戦時補償推進委員会およびNAJC専務理事の司会で行われた。 

この報告書は次の人たちが共同で執筆した。 

NAJCのブリティッシュ・コロンビア州戦時補償推進委員会委員: 

共同委員長:アート・ミキ、マリカ・オマツ、リン・ドイチャー・コバヤシ、エイコ・エビー、キヨコ・ジュディー・ハナザワ、レス・コジマ 

NAJC専務理事: 

ケブン・オカベ 

NAJC全国理事会のメンバー: 

キヨシ・デンボウ、エイコ・エビー、アレックス・ミキ、レス・コジマ、ロリン・オイカワ、スザン・タバタ 

公聴会を支援してくれたすべての日系カナダ人組織と個人に感謝いたします。 

全カナダ日系人協会 

180 McPhillips Street 

Winnipeg, Manitoba, R3E 2J9 

204.943.2910 

national@najc.ca • najc.ca 

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